自分らしく

すべて自分で選択した人生。自分らしく生きるために、胸のうちを綴ってみようと思います。

再会2

1月下旬には「一緒にご飯」が実現した。

彼は、ちょっと遅れて待ち合わせの店にやって来た。

「久しぶり。」

自然に挨拶を交わしたら、一瞬で昔に戻ったような感覚だった。四半世紀のブランクはすぐに埋まった。学生時代にタイムスリップしたよう。気心が知れた彼の前では、何も飾らず素の自分が出せた。周りに気を使い、神経をすり減らしながらの社会生活で、こんなにリラックスしたのはいつぶりだろう?楽しくて居心地のよい時間はあっという間に過ぎた。


彼が、本当に好きだったんだよと言った。

私もだよ、と答えて、なんだか切なくなった。ただただ懐かしかった。


1個上の彼。同じサークルで、大学時代を丸3年一緒に過ごした。楽しい青春時代をありがとう。感謝の気持ちでいっぱいだった。


またねと言って明るく別れた。また、こんな風に会えたらいいなと思った。だから、また会いませんかと言われたときは嬉しかった。でも、ちょっと心配だった。どうにかならないようにしないと。ラインIDを交換しても、日程調整以外の連絡はあえてしなかった。あくまでも、昔の恋人と青春を懐かしむだけ。自分に言い訳していた。

再会

彼とは、別れてからずっと、年賀状のやり取りを続けていた。お互い結婚して子どもが生まれ、家を持ち、家庭人として生活していた。年に一度の近況報告に、何となく心がざわついた。そのまま二十数年。


今年の年賀状で、お互いに異動があり、偶然、同じ都市に勤務していることを知った。

「ご飯でも行きましょう!」

年賀状の文面だし、社交辞令だと分かっていたけど、無性に会いたくなった。この機会を逃すと、もう一生会えないと思った。だから連絡した。何の躊躇もなく。我ながら大胆な行動だと思った。

平穏

家庭は平穏にまわっている。

夫は、平日は帰宅が遅いけど、休日は家族のために使う。子ども達は、小さい頃から父親が家にいると嬉しそうだったし、思春期になった今も、父親に相談事をしている。いい父親だと思う。


だけど、私にとっては、いい夫ではなかった。私はいつも寂しかった。


だから、自分を止められなかったのかな。


決して許されることではないってこと、自分が一番よく分かっている。


それでも、今、夫にも、心が通い合う人がいてくれたらいいのにと本気で思っている。


自分の罪悪感が薄まるからという腹黒い理由ではなく、純粋に、夫にも癒しがあってほしい。私では役不足だから。


そう思うのは偽善なのかな。。